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洞泉寺遊廓
※1930年(昭和5年)発行の「全国遊郭案内」より
郡山町洞泉寺遊廓
郡山町洞泉寺遊廓は奈良聯生駒郡郡山町字洞泉寺に在つて、關西機郡山驛で下車する。洞泉寺遊廓は、東岡遊廓よりは、建築に於ても、設備に於ても、其他あらゆる點に於て一歩を譲って居る。
貸し座敷は目下十七軒あつて、娼妓は百五十人居る。奈良、京都、大阪地方の女が多い。店は寫眞店で、娼妓は全部送り込み制である。遊興は時間制、又は仕切花制で、廻しは取らない。費用は一時間遊びが二圓位で、仕切は、午前八時から正午迄は五圓、正午から日没迄は七圓、日没から一泊して翌朝七時迄が十二圓である。臺の物は附かない。附近には柳澤氏の城址がある。「菜の花の中に城あり郡山」と云ふ其角の句がある様に、附近一帯が菜畑である。郡山は日本一の金魚の産地である。
洞泉寺遊廓の地図
洞泉寺遊廓関連ブログ
洞泉寺遊郭 -奈良県-
洞泉寺遊郭跡に行ってきました①【奈良県大和郡山市】
消滅危機遊廓、大和郡山市の洞泉寺と東岡
洞泉寺遊廓〈又春廓〉(奈良県大和郡山市)-金魚の里に残る遊里の抜け殻
洞泉寺遊廓関連ツイート
2008年、大和郡山洞泉寺遊廓辺り・・ pic.twitter.com/GLX7MUTycr
— 花街ぞめき、正脇良平 Ryohei Masawaki (@gionbubu) October 26, 2023
2008年、大和郡山洞泉寺遊廓跡にあった妓楼跡・・・
道が狭く、とても威圧感がありました。 pic.twitter.com/wU1yFhkeKp— 花街ぞめき、正脇良平 Ryohei Masawaki (@gionbubu) October 20, 2023
洞泉寺遊廓の山中楼ついに解体が始まりました。またこの地の遊廓の記憶が消えていきます。 pic.twitter.com/is3LABXEG7
— 又春廓🌸奴 (@kiraharulab) October 19, 2023
消滅間近、大和郡山市の遊廓建築。この旧川本楼は文化財登録されとりますが隣の旧山中楼は取り壊し中。 #洞泉寺遊廓 pic.twitter.com/FWCWSOrL6P
— boya wani (@boya_wani41258) October 15, 2023
洞泉寺遊廓、旧川本楼の案内は続く。
途中で強めの雨が降りだして、中庭部分の説明を、雨粒がしたたる中で受けていた。
結核が洒落ならない当時を想像しつつ、楼主の立派な部屋の造りに思いを馳せながら、ガイドさんと話をしていた。 pic.twitter.com/f7V8MQ4Wdl
— ruinwalkers(乙かれ提督) (@ruinwalkers1) July 23, 2023
フォロワーさんと郡山は洞泉寺遊廓跡の旧川本楼をガイドさんによる案内中。
年配のおじいさん(若い頃この辺にいたようです)ガイドさんから、そこまでご存知なら一般には言ってないんですが、と色んな話を聞きまくり。
横で聞いてるフォロワーさん、頼むから引かないでおくれよ…( ;´・ω・`) pic.twitter.com/GvORHbelQk
— ruinwalkers(乙かれ提督) (@ruinwalkers1) July 23, 2023
2020年3月から解体された洞泉寺遊廓、富士屋楼、植甚楼、木島(このしま)楼の3棟。解体時、これらの建物から棟札が出てきたので旧川本楼で保管したまま。襖の裏張りでは、天保の文書も見つかっていた。あれはその後どうなったのか。 pic.twitter.com/VTpkKHiC3B
— 又春廓🌸奴 (@kiraharulab) December 17, 2022
なかなか洞泉寺遊廓の投稿できず放置してすみません。実は山のような未整理の近代資料を整理しており意識が遊廓から離れてます。仕事がオフの日は近代の新聞記事簡易DBを作成中。もちろんその中に芸妓娼妓の記事も多く興味深いです。ところで番付の見方が分からないのですがどなたかご教示ください😅 pic.twitter.com/qoYFuyyRG3
— 又春廓🌸奴 (@kiraharulab) June 27, 2021
昼まで 腹の調子が悪く寝ていたが
夕方から電車で 久しぶりに大和郡山の 気になっていた遊廓跡の建物群を見に行った
JRの駅から郡山城外堀跡を越えた所の
洞泉寺遊廓跡に向かう
入口の旧 山中楼跡は広い駐車場になっていた
源九郎稲荷神社の前の建物は住んでいて健在だったhttps://t.co/gUaClZdyGK pic.twitter.com/8ot7V3yJ7b— 風のエロたん (@wy8gh1NYF2iPTSS) December 18, 2022
洞泉寺遊廓、旧川本楼、松が彫られた階段、家紋、そしてスライドして明かりを採る無双窓・・・見とれます。
大和郡山市が建物を耐震工事までして無料で開放・・・素晴らしい事だと思います。 pic.twitter.com/fPz6Tpsvz8— 花街ぞめき、正脇良平 Ryohei Masawaki (@gionbubu) July 28, 2022
洞泉寺遊廓にある源九郎稲荷神社・・・ひょっとしたら精進落としで遊廓を利用した方もいるかもしれませんね。 pic.twitter.com/KunjNDizkX
— 花街ぞめき、正脇良平 Ryohei Masawaki (@gionbubu) July 20, 2022
『全国遊廓案内』に洞泉寺遊廓は送り込み(置屋から娼妓が揚屋に送られる)と書いてありますが実際は居稼ぎ(娼妓が住んで客を取る)でした。旧川本楼の三畳の客間②に娼妓が使った箪笥の跡が残ります。又③に簡易床の間の吊り床が見えます。ここに娼妓は自分で生けた生け花を飾ったのでしょう。 pic.twitter.com/Ous1PrcNgA
— 花街ぞめき、正脇良平 Ryohei Masawaki (@gionbubu) July 18, 2022
大和郡山、洞泉寺遊廓。
旧川本楼と旧山中楼の中庭 pic.twitter.com/HT2Eohbg3T— ことぶき (@kotobuki_76_nag) July 16, 2022
大和郡山市の旧洞泉寺遊廓。駅から程近い一角に、かつて10軒以上の店が並んでいました。その中の1軒「川本楼」は町家物語館として一般公開されています。大正13年(1924)に建てられた本館は木造3階建で、現存する遊郭建築として貴重。いつか中も拝見したい。#大和郡山市 #登録有形文化財 #近代和風建築 pic.twitter.com/o7o5gQEz93
— 傳八郎 (@Denhachiro) February 1, 2022
遅れ馳せながら新年のお詣りに
奈良の源九郎稲荷神社まで。
洞泉寺遊廓の旧川本楼も見学。
ノスタルジックな雰囲気漂う
大和郡山でした。 pic.twitter.com/4shDyPmD5e— teru (@Round2Teru) January 13, 2022
洞泉寺遊廓木乃嶋屋の平面図。2016年に奈良県建築士会郡山支部の方達が実測され内部が詳細にわかります。ちなみに先日投稿した電話ボックスは①の場所にあります。②はトイレや脱衣所などの水回り関係があります。写真は下宿時代を経て一般人が住まれていた時の名残りでリフォームされてます。 pic.twitter.com/oJW7kC5V5M
— 又春廓🌸奴 (@kiraharulab) May 8, 2021
明日5月7日夜9時からNHK-BS1で「にっぽんディープ紀行”昭和”を探して〜キャバレー、遊郭その周辺〜」が再再放送されます。
洞泉寺遊廓の三棟が解体される直前の貴重な映像が残されています。見逃してしまったというかた、是非ご覧ください😊 pic.twitter.com/EUXWPRXzfO— 又春廓🌸奴 (@kiraharulab) May 6, 2021
2020年4月、洞泉寺遊廓木乃嶋屋の解体現場では、棟札を見つけることができました。浄慶寺の檀家総代が毎日新聞に解体された建物は全て明治34年築と言ってましたが、明治44年の棟札が出てきましたので、こちらが正しいと思われます。2階の色ガラスの謎はわからないままです。 pic.twitter.com/PFAPwGxWpT
— 又春廓🌸奴 (@kiraharulab) May 2, 2021
奈良県大和郡山市
洞泉寺遊廓の木乃嶋屋についての投稿続けます。これは解体前の内部の写真。建物の間取り図を見ると、中庭がなかったため、昼間ですが電気が無くてとても暗い。旧川本楼の様にきちんと彩光を考える重要性を体感。写真は電話室です。雑然としていました。 pic.twitter.com/7TsWE7Rw08— 又春廓🌸奴 (@kiraharulab) May 2, 2021
洞泉寺遊廓、木乃嶋屋(このしまや)です。2020年4月に解体されました。
このお店の入り口は南側にあり、玄関にこの板が掛かっていたと思われます。売春防止法施行後は、一時期下宿屋をやってましたが、ヤクザがらみの問題が発生したため、一般人が購入して近年まで住んでいました。 pic.twitter.com/353lRoO9Ks— 又春廓🌸奴 (@kiraharulab) April 30, 2021
洞泉寺遊廓解体後の話
昨年の今頃、多くの反対の中、洞泉寺遊廓3軒の解体が行われた。新聞に大きく取り上げられ、その中で寺の檀家総代は、解体後ここは墓地の拡張や駐車場にするという話だったのに、更地の現場には「好評分譲中」の旗が‼️現在は3枚目のように駐車場。なんかあったのかも。 pic.twitter.com/NRLZSQDfkC— 又春廓🌸奴 (@kiraharulab) April 13, 2021
大和郡山市の薬園八幡神社には、洞泉寺遊廓の女将などが作った組合だと思われる「又春廓(ゆうしゅんかく)」の奉納品がある。本殿に備えられている太鼓と燈篭がそれで、大正後期に奉納されていることがわかる。当時の関係者がさらなる遊廓と郡山町の繁栄を願ったものと思われる。 pic.twitter.com/8RyR1UGtac
— 又春廓🌸奴 (@kiraharulab) April 11, 2021
又春廓(ゆうしゅんかく)は郡山洞泉寺の組合名のようなものだと思われる。洞泉寺遊廓の別名かとも思ったが、当時のどの新聞等にもそのような記載はなく洞泉寺遊廓内のみで使われていた気がする。写真のような徳利、鳥居、法被などの他に、近所の薬園八幡社にもゆかりのものがある(後述)。 pic.twitter.com/4cJoAH5toI
— 又春廓🌸奴 (@kiraharulab) April 11, 2021
洞泉寺遊廓、旧植甚楼。聞き取りによると植木屋の親方が楼主にだったため、この名前になったそうだ。甚○○とかそんな名前だったのかな。この建物自体は明治44年に建てられたと思われる。浄慶寺檀家総代が言ってたのは明治39年だが、それは土地使用に関する契約書ではないかと思われる。 pic.twitter.com/JouM4HAo5e
— 又春廓🌸奴 (@kiraharulab) April 10, 2021
洞泉寺遊廓の情報を得たくて検索していたら解体中の写真が。
そうそう、これ。
👈写真の旧植甚楼にポツンと取り付けられた小さな三階の小屋。遊廓廃業後、ここに住んでいた住人に聞き取り調査をすると、ここは太夫の部屋だったとか。太夫?なぜ太夫なんだろうと新たな謎が出来た瞬間でした。 https://t.co/7HSGbr05vW— 又春廓🌸奴 (@kiraharulab) April 9, 2021
洞泉寺遊廓、月殿(旧岡田楼)について。この写真は1991年くらいのもの。
現在の町家物語館の南角にはこんな立派なお店があり、悪名十八番のロケに使われた。 pic.twitter.com/wXcWxwQjLA— 又春廓🌸奴 (@kiraharulab) April 9, 2021
折檻部屋については建物を見ないとわからないのでなんとも言えないが、洞泉寺遊廓の旧川本楼には、あると言われていたが実際にはなかった。
そして、足抜けの罰則がたった5日間の勾留というのも驚きで、遊客名簿を研究している人によると、何もなかったかのように翌日から普通に営業しているらしい。— 又春廓🌸奴 (@kiraharulab) April 9, 2021