京口新地(篠山町遊廓) 兵庫県丹波篠山市|全国遊廓赤線マップ 散策動画とブログデータベース


2019年2月に行政代執行により大正楼解体を伝えるニュース



京口新地(篠山町遊廓)

※1930年(昭和5年)発行の「全国遊郭案内」より

篠山町遊廓は兵庫縣篠山町糸口新地にあつて、汽車なら福知山線佐野驛で篠山線に乗換へ賀古川の上流篠山驛で下車する。
現在貸座敷二軒娼妓約百十名位居り陰店を張って居る、御定りは一時間二圓位で宵から引迄四圓位、又晝間三圓五十錢程度である。

京口新地「大正楼」と阿部定

京口新地(きょうぐちしんち)は、兵庫県丹波篠山市池上にかつて存在した遊郭。阿部定が遊女人生最後を過ごした「大正楼」が2019年まで残されていたが、倒壊の危険があるため、丹波篠山市が「特定空き家」に指定し、取り壊された[2]。
大正楼
大正楼は、昭和初期に愛人の男性を殺害した阿部定が最後に遊女として勤めた場所で(「篠山町七十五年史」、)東京・神田生まれの定は、大正楼に1930年(昭和5年)の冬1月に数え26歳で大正楼に流れ着いた。当時、源氏名を「おかる」と名乗っていた。すでに遊郭を転々としていた定は大正楼を、「前よりも酷い」とし、「何しろ寒い冬の晩でも外へ出て、客を引っ張るような辛い勤めをしなければならない」と過酷であったことを証言している(「阿部定手記」中公文庫、前坂俊之編著)[2][3]。
ウィキペディア(Wikipedia)

阿部 定事件

阿部定事件(あべさだじけん)は、仲居であった阿部定が1936年(昭和11年)5月18日に東京市荒川区尾久の待合で、性交中に愛人の男性を扼殺し、局部を切り取った事件。事件の猟奇性ゆえに、事件発覚後及び阿部定逮捕(同年5月20日)後に号外が出されるなど、当時の庶民の興味を強く惹いた事件である。
ウィキペディア(Wikipedia)

※阿部 定の第二回尋問供述調書より抜粋

ところが、その店は今までと違い、ずっと格が落ちるし、客筋も悪かったので、すぐ厭になり、何とかして自由の廃業したいと思い、店へ来てから半月くらいしてからそこを逃げ出し、東京へ来て元世話になった塚田という紹介屋の前の宿屋にいると、「都楼」から探しに来た使の男に見付かり連れ戻され、無理矢理に丹波篠山の「大正楼」に住み替えさせられ「おかる」と名乗りました
それは私が26歳の冬のことで、「大正楼」は前よりも酷く、玉の井の淫売以下であり、何しろ寒い冬の晩でも外へ出て客を引張る様な辛い勤めをしなければならぬので、私は益々厭になり、半年くらいした時、ある客を踏台にして駈落の様にして逃げ出したことがありましたが失敗し、連れ戻されてしまいました。
そうしてそれから源氏名を「育代」と代えました。私が逃げるため、客の金100円を盗んだのもこの頃のことです。しかし、看視が厳重でどうしても逃げられませんでした。
ところが、ある時、表の大鍵が下りていながら、かかっていないことに気が付いたので、客を送り出した時、わざと音をさせ鍵をかけない様にして卸(おろ)し、店の者を安心させておき、そっとそこを抜け出し、一番電車を待って、その日神戸まで逃げてしまい、それ以来、娼妓から足を洗ってしまいました。
https://tanken.com/abesada/styled-2/index.html

晩年の阿部 定の映像



京口新地(篠山町遊廓)の地図



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