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5% オフ佐志遊廓(桜町遊郭)関連動画
佐志遊廓
※1930年(昭和5年)発行の「全国遊郭案内」より
佐志村遊廓
佐志村遊廓は佐賀縣唐津町佐志村西にあつて、唐津驛から、自動車及乘合の便がある。
貸座敷は十軒、娼妓約九十人位居て一廓をなして居る、娼妓は主に近縣人である。遊興費は廻し無し臺附きで最底三圓五十錢位から五六圓見当である。海岸線は雑多に屈曲して風光明媚な處である。
佐志遊廓の地図
佐賀県唐津市桜町
佐志遊廓関連資料
・遊郭と青年宿について
遊郭は、遊女屋を集めた建物のことである。今回の調査で宮崎さんたちは遊郭についても話してくださった。昔、佐志浜町には各地に遊郭があったらしい。遊郭は立っている場所によって、料金が違ったという。桜町には遊郭が5,6件あったらしく、遊女が10~12人いた。その遊郭を利用するには、1時間につき1200円払う必要があったため、裕福な人しかいけなかったらしい。その分桜町の女性は着ている物が豪華であったり、芸ができたりと、もてなしが豪華であった。また松原には遊郭が5~6件あり、遊女が3,4人いた。一時間あたり、500円払う必要があった。こういった遊郭は、その頃の仕事で中国のジャンク船の解体があったのだが、日当が300円であったことから高いということが察せられるだろう。
宮崎さんにある面白い話を聞かせていただいた。遊郭の近くに住んでいたAさんのところに、ある日遠くから友達がやってきた。Aさんはせっかくだから楽しんでもらおうと思い、その友達を遊郭に連れて行き、もてなすように頼んだ。すると、最終的にその友達は、そのとき相手をした遊女と結婚することになったという。この話を宮崎さんが話してくれたとき、私たちは作り話のようなその話に驚いた。また、地元の人の中には遊郭の女性を好きになり、その人に弁当を作ってもらっていた人もいたという。
昔は青年宿もあったらしい。青年宿とは、中学校を卒業した男子が入るものであり、宿の主が親の代わりにしつけをおこなった。また、青年宿では後輩は先輩に従わなければならなかったため、先輩の命令は聞く必要があった。例えば、後輩は先輩が夜這いに入っている間、先輩の下駄持ちをさせられていた。昔は、夜這いは習慣のようなことだったらしく、終戦直後では集団で夜這いに行ったこともあったという。しかし、青年宿に預けられている青年たちは、宿主に迷惑がからないようにするため、隠れて夜這いに行っていたらしい。青年宿は実の親にかわって子をしつける場であったため、夜這いが発覚すると、宿主の責任となってしまうからだ。また、佐志浜町に住む人々は比較的、裕福な人が多かったため、その人々が夜這いのために家に訪れると、喜んで迎えてくれる家もあったという。
夜這いのために山を50分近くかけて越えて女性の家まで赴いていたり、全く知らない人の家に入ったりと、いろいろなお話を聞き、夜這いがその当時どれだけ習慣的であったか、よく分かった。
https://hattorihideo.org/report07/sasihama.html
佐志遊廓関連ブログ
佐志遊廓関連ツイート
唐津・桜町遊郭跡 pic.twitter.com/YPCaV1GGYI
— rS (@rySkmt) January 5, 2018
さらにこちらが石炭産業の興隆とともに栄えた「佐志遊郭」の跡地です。北九州鉄道の終点東唐津駅を降りて軌道線に乗り変え、さらにその終点まで行くとありました。まさに遊郭から遊郭へ pic.twitter.com/8q3NgrbJ28
— ユキチ (@19220408mitsue) August 23, 2019
佐賀の佐志村遊郭ってこれか…うつくし…。ストビューみたら廓内の表記あり。 pic.twitter.com/i5Kpx02u3j
— 春は馬車に乗って (@jounalduvoleur) July 18, 2020
唐津市佐志村遊郭
なんでこんなところに遊郭が?!っていうような、結構な田舎の川沿いにある。一軒の妓楼と、屋号が彫り抜かれた門柱が残っている pic.twitter.com/Dgr5OpXAKH— 春は馬車に乗って (@jounalduvoleur) July 4, 2023