【2024新登場 Bluetoothヘッドセット】 Bluetooth5.3 イヤホン 片耳 100時間超長時間連続使用 ワイヤレス 耳掛け型 500mAh充電ケース付 LEDバッテリー残量ディスプレイ CVC8.0ノイズキャンセリング 左右耳兼用 装着感 ハンズフリー通話 マイク内蔵 ミュート/SIRI機能搭載 在宅勤務/運転/オンライン会議/ビジネスチャット用
40% オフ千住遊廓(柳新地)関連動画
千住遊廓(柳新地)
※1930年(昭和5年)発行の「全国遊郭案内」より
千住町遊廓
千住町遊廓は東京府南足立郡千住町、宇千住四丁目に在つて、東京市電車は北千住終點で下車する。市電は七錢、大橋から先は郊外料三銭である。終點から遊廓迄は西北へ約五丁位なもの。
昔奥州街道口の國道に沿ふた、各旅館では、飯盛女を大勢置いたのが濫觴で、大正八九年頃迄は、宿場として昔の儘の古風な「湯屋式」の店構へであつて、同業者もたつた十三軒きりだつた。處で大正十年三月に現在の指定地へ移転すると間も無くあの大震災に逢ったが、幸にして類焼を免れたので、吉原、洲崎の客がどしどしと茲へ流れ込み、急に異常な發達を遂げた。現在では貸座敷が五十三軒に殖え、娼妓も三百三十人に成って居る。福島縣、栃木縣の女が多い。店は寫眞店で、費用も制度も殆んど新宿と變らない。只新宿の様な大店が無い丈けだ。居稼きで、時間廻し制で、費用は御定り一時間遊びが一圓五十錢が組合の規定、臺は附かない。他に甲乙の種類があつて、甲は本部屋で半夜十二時迄が八圓、乙は廻し部屋で半夜十二時迄が五圓である。十二時以後からの一泊も矢張り同値だ。(税共)此れで臺が附かないのだから決して安い方では無い。勿論廻しは取るのだ。通し物には樓主が五割を掛て請求する事に成って居る。藝妓は奮町から呼ぶので俥賃が五十銭、(大小一組)である。玉代は一組、二時間一座敷一圓五十錢だ。太鼓か入るので必ず一組と定まつて居る。妓樓は
佐野樓 大塚樓 松島樓 旭樓 立川樓 杉本樓 豊甲子樓 壽樓 廣島樓 第二廣島樓 第三廣島樓 正栄樓 魁樓 一鶴樓 蓬莱樓 池田や 上州樓 琴川樓 山杉樓 一山木樓 清風樓 新甲子樓 第一甲子樓 第二甲子樓 第一二月樓 愛知樓 一月樓 永岡樓 第三甲子樓 玉川樓 若山樓 昭和樓 神吉樓 吉田樓 第五甲子樓 甲子樓 中田樓 大野樓 三日月樓 三河樓 本田樓 清風樓支店 金桝樓 岡本樓 武蔵樓 新福住 福住樓 新寶樓 大栄樓尾張樓 大阪樓 いろは樓の五十三軒である。
千住遊廓(柳新地)の地図
※千住遊廓(柳新地)の大門(大正~昭和期)の写真と現在の同じ場所の写真
※千住遊廓(柳新地)の大門跡の地図
東京都足立区千住柳町
1962年の「見番横丁」と現在
※「見番横丁」の地図
東京都足立区千住3丁目
千住遊廓(柳新地)関連ブログ
千住遊廓(柳新地)と大門商店街。千住遊廓の歴史-北千住⑵
千住柳町を歩く ~消えた遊里の残照~ | Nostalgic Landscape
北千住、「あれ?」とつい足を止めてしまう“変な建物”が散見される謎
五木寛之「風に吹かれて」から千住遊廓跡を歩く
【東京都】足立区千住柳町「千住遊廓」
千住遊郭は裏切らなかった。北千住散策
千住宿と千住遊郭(足立区) – ビバ!迷宮の街角
千住遊廓(柳新地)関連ツイート
男は黙って双子鮨(千住遊廓近く) pic.twitter.com/DB47tp2NDH
— 渡辺豪 (@yuukakubu) April 21, 2016
千住の遊廓は戦災を免れたこともあって、こんな青楼が売防法まで残ってたらしいんです…。はぁ、この目で見たかった…。場所は曙の並びでしょうかね。
戦後、米軍に撮影された航空写真を見ると千住遊廓にあった妓楼の巨大さがよく分かります。 pic.twitter.com/v5XMKUi1e1— 渡辺豪 (@yuukakubu) July 1, 2015
千住遊郭(千住柳町)の妓楼・神吉楼。入口だろうか妓夫台には妓夫(牛太郎)が座っている。昭和初年頃、北千住二丁目大門通りの日比谷写真館撮影。1930(昭和5)年発行の『全国遊廓案内』によれば当時千住遊郭には貸座敷53軒、娼妓330人。#古写真 pic.twitter.com/5QnEne9yOR
— むかしもん文庫 (@MukashimonBunko) July 17, 2022
妓夫台脇のガラスのショーケースの中には娼妓(遊女)の写真が並べられていたのではないだろうか。前掲の『全国遊廓案内』には「店は写真店(見世は写真見世)」とあり千住遊郭では張見世は行われていなかったようだ。Googleブックスで検索してみると→ pic.twitter.com/p0aKKLiigb
— むかしもん文庫 (@MukashimonBunko) July 17, 2022
7月7日は川の日なので川の民謡。
東京都の民謡「千住節(舟唄)」。唄は葛飾区水元猿町の宇田川鹿蔵。コロムビアAL-5037。昭和39年の新譜。
荒川、隅田川、中川などの船頭が唄っていた舟唄で「千住節」という。元は千住の遊廓で唄われていた騒ぎ唄で、端唄の二上り甚句に乗せて千住の歌詞を唄った。 pic.twitter.com/2QuxZ4qnQ4— Kame. Y (@kame_matsuri) July 6, 2021
東京の遊廓移転に関する公文書。千住町の貸座敷業者は大正10年1月末、内藤新宿町は3月末までに新指定地へ移転することが命じられた…と。翌11年は浜松・二葉遊廓、12年は名古屋・中村遊廓、岡崎・東遊廓が移転。 pic.twitter.com/KqF3pfnbmb
— ことぶき (@kotobuki_76_nag) May 31, 2022
千住大門商店街とその周辺の様子。
かつて千住遊廓という花街として賑わいをみせていたという歴史があります。
五木寛之のエッセイ『風に吹かれて』に登場する場所の1つでもあります。
遊廓時代の遺構はあまり見られませんが、時代を想わせるレトロな建物が多く並んでいます。#足立区 #千住 #お散歩 pic.twitter.com/CxaZIWCRsE— 東洋大学 体育系お散歩サークル(非公認) (@T0n1kaku_Aruke) August 11, 2022
夜散歩のススメ「青壁と赤いトタンの2連長屋」
消滅に近い千住柳町(旧千住遊郭)。遊里建物かわからないけどその周辺、千住元町に凄いのがあった、青壁と赤いトタンの2連長屋。しかも生活デザインが言い具合にミックス。(東京都足立区千住元町)#夜散歩のススメ #東京夜散歩 #夜散歩 pic.twitter.com/DlJ6W0Rbfm— 上野タケシ (@ueno_takeshi) November 19, 2022
★千住二大洋食店
大正末期、千住近辺にあった洋食店です。左は精養軒。あの精養軒なのかどうかは確認できませんでした。右は日新亭。こちらは現存していません。当時千住は千住遊郭という大規模な遊郭が存在しており、ハイカラで宿も多く大変賑やかな町でした。 pic.twitter.com/RoPZL6hNkm
— 昔の風俗をつぶやくよ (@LfXAMDg4PE50i9e) March 9, 2019
千住遊郭の跡地である「千住柳町」。ここにも宅地化の波が押し寄せており、当時の面影はほとんど感じられませんでした。
ごく一部の建物が赤線時代の名残を留めているようです。 pic.twitter.com/h5LEL8zeaV
— 武田菱 (@takedabishi8) December 29, 2020
豊川稲荷の境内。大東京料飲業組合、亀戸三業組合、千住遊廓…全国各地から寄進された石灯籠が…(゚o゚;; 岐阜の金津園などもある… pic.twitter.com/LsMItsBjGe
— ことぶき (@kotobuki_76_nag) April 16, 2022