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岡崎遊廓(中町東遊郭)
※1930年(昭和5年)発行の「全国遊郭案内」より
岡崎市遊廓
岡崎市遊廓は愛知縣岡崎市中町に在って、東海道岡崎驛から北へ約三十丁、電車で殿橋迄約十五分、賃十錢である。
岡崎は家康の誕生地德川氏勃興の地、三河武士の根拠地、八丁味噌の産地として有名だ。岡崎城址は今公国に成って居て、東照宮が祀ってある。家康の生れた城なので「産湯の井」と云ふのが祠畔に在る。
「岡崎女郎衆はよい女郎衆、藤川張りの三味線で、岡崎女郎がうたふを聴けば」
と昔から唄はれて居た様に、五十三次の時代から既に矯名が高かつた。享保年間に、重に参勤交代の旅客に飯盛女を侍らせて賣笑したのが嚆矢と成り、岡崎女郎衆と迄世に唄はるる様に成ったが、明治初年に娼妓の解放があつたけれ共、間もなく前借金制で復活し、伝馬町、板屋町の兩廓が共に現在の個處に移轉したのは大正十二年であつた。
目下貸座敷が三十七軒、藝妓置屋が十七軒、娼妓二百五十人、藝妓百二十人と云ふ素晴らしい發展だ。愛知、群馬、埼玉縣の女が多い。店は寫眞店で陰店は張つて無い。娼妓は居縁ぎ制で送り込みはやらない。遊興は時間制で廻しは取らない。費用は一時間一圓五十錢で、午前二時から(大引過ぎ)なら四圓位で一泊が出來る。臺の物は附かない。藝妓の玉代は二時間一座敷二圓八十錢。
妓樓は、鹽津屋、米屋、春水棲、大阪屋、秋月樓、松榮樓、入船、梅屋、肴屋、徳永屋、藤田屋、京樂亭、大島屋、水月、第二松榮樓、新寶光、新月、小松屋、末廣家、花房、いろは、壽樓、月本、和田屋、清々樓、幸花樓、若松、三日月、東京樓、八千代樓、大阪樓、春本樓、松咲、菊陽、新大坂、新大黑、豊本、の三十七軒である。
大門通り(おおもんどおり)とは、愛知県岡崎市中町を東西に通る道路の通称名である。
中町東遊郭
大門(おおもん)とは、遊郭に出入りする門のことで、中町にはかつて遊郭が存在した。大門通りは中町東遊郭の大門跡手前までを通る道の名残である。中町大門通交差点は大門の手前辺りに当たる。
1923年(大正12年)、板屋町・伝馬町の両遊郭から計36軒が中町に移転した。移転先は当時の中町字五反田で、岡崎市が組織した東遊廓土地株式会社が整備した場所であった。岡崎の遊郭は中町に集約され、柳暗花明・紅灯の巷を築いた。当時は名鉄名古屋本線東岡崎駅からここを終点とする定期バスの青バスが大門通りを運行していて活況であった。現在では遊郭こそ存在しないが、名鉄バス大樹寺線(中町循環)のバス停留所に「中町大門通」がある。
岡崎遊廓(中町東遊郭)の地図
愛知県岡崎市板屋町
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岡崎遊廓(中町東遊郭)関連ツイート
岡崎市の東遊廓跡地。中町7丁目。遊廓を取り囲んでいた水路跡の路地。1枚目のような崖になってることはことぶきさんや春馬車さんのツイートを読むまで知らなかった。基本的には幅員4m以下のみなし道路で家の背面が接してるけど3枚目のように拡幅されて家の正面が接してる場所もある。 pic.twitter.com/ZnMJ3BBUUk
— Asturio (@Asturio_t) March 14, 2022
岡崎市板屋町の遊廓跡の小さな飲み屋街「たつき街」(2011年5月1日撮影)… pic.twitter.com/3EwkRRseXp
— 三日画師 (@43days) August 19, 2015
愛知県岡崎。板屋遊廓跡。photosynthで撮影。http://t.co/uk3lwj7n pic.twitter.com/RGSbPRuP
— 渡辺豪 (@yuukakubu) March 12, 2012