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郡山遊廓(赤木遊郭)
※1930年(昭和5年)発行の「全国遊郭案内」より
郡山町遊廓
郡山町遊廓は福島縣安積郡郡山町に在つて、東北本線郡山駅から約八丁、乗合自動車の便がある。
郡山は猪苗代湖の水を曳いた疎水事業が竣成したので、發電所、カーバイト會社、東洋曹達會社、日本化學事工業の工場、東北電化の工場、岩代紡績、橋本製糸等の各種事業が發展して、人口も三萬に近い。貸座敷も十軒程あつて、娼妓は六七十人居る。女は福島縣の者が大多数である。店の様式は判明して居ない。娼妓は居稼ぎ動で、客の廻しは取つて居る。費用は一時間遊びが一圓二三十銭位で臺無し、御定りは二圓、三圓、四圓とあつて、簡単な臺の物が附く。勿論此れで一泊が可能だ。
附近には開山公園があって、櫻の名所として東北地方に有名である。花時には競馬をやって一層人気を呼起す。
郡山遊廓[1](こおりやまゆうかく)は福島県安積郡郡山町相生町(現・郡山市赤木町)にかつて存在した遊廓。赤木遊廓とも呼ばれる。
江戸時代、奥州街道の郡山宿には飯盛女が置かれており、それが後に遊廓に形を変えた。
1901年(明治34年)には、宿場町から現在の郡山市赤木町にまとまって移転した。その際に町名も「相生町」と命名された[2]。
1930年(昭和5年)に出版された『全国遊廓案内』によると、郡山町遊廓は福島県安積郡郡山町(現・郡山市)にあって、東北本線郡山駅の約8丁の場所にあり、乗合自動車の便もありいう[1]。 また、当時は貸座敷が10軒程度あって娼妓は60から70人ほどおり、娼妓は福島県の者が大多数だったという[1]。
1958年(昭和33年)に売春防止法が施行され、遊廓は廃止された。
なお、赤木町への移転当時に建てられた石造りの門柱は、遊廓の廃止後も長年残されていたが、2011年の東日本大震災で受けた損傷が大きく、後に撤去された。
郡山遊廓(赤木遊郭)の地図
福島県郡山市赤木町
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郡山・赤木町遊郭 – DEEP案内不動産部
郡山(赤木町遊廓跡)大門だけが残っています
郡山遊郭跡(赤木)
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福島県郡山市。赤木町遊郭跡。明治から残り続けていた大門は無くなっていた。手前の電柱のある場所に、その門が有るはずだった。 pic.twitter.com/wlh4mrdm
— 渡辺豪 (@yuukakubu) April 13, 2012