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岩村田町遊廓

※1930年(昭和5年)発行の「全国遊郭案内」より
岩村田町遊廓
岩村田町遊廓は長野縣岩村田町に在つて、佐久線岩村田驛で下車する。
貸座敷は目下十軒あつて、娼妓は約五六十人居るが、新潟縣の女が多い。店は陰店を張つて居て、娼妓は居稼ぎ制、送り込みはやらない。遊興は廻し花制で、通し花は取らない。費用は御定りが二圓で、本部屋は三圓五十錢位からである。此れで各臺の物が附いて一泊が出來る。

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※ウィキペディアより
Wikipedia
岩村田遊廓(いわむらだゆうかく、岩村田遊廓)は、かつて長野県佐久市岩村田にあった遊廓。
1889年(明治22年)、遊廓開業[1]。
現在の佐久市岩村田(当時・北佐久郡岩村田町)の東部、鼻顔稲荷神社とは湯川を挟んで対岸に位置していた。遊廓周辺の稲荷町・花園町は鼻顔稲荷神社の鳥居前町として発展した街で、遊廓の開業は商業の発展に拍車を掛けた[1]。
中山道・追分宿(北佐久郡軽井沢町)から移った「分里郭」が11軒あった。2階から3階建ての建物が多かった中、「本嘉女屋」は5階建てで、屋上部分はイスラーム建築を思わせるドームがあった[2]。
遊廓があった当時は色情にまつわる都々逸が流行した。いくつか種類があり、これを歌えない者は堅物などといって小馬鹿にされたという。夕方になり、風に乗って運ばれてくる女たちの歌声は、働く若者たちの仕事の手を止めてしまうものだった。誘惑に負け散財したなどという色話が伝えられている[2]。
1940年(昭和15年)、遊廓廃止[1]。
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岩村田町遊廓の地図

長野県佐久市岩村田花園町



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