伊藤園 健康ミネラルむぎ茶 600ml×24本
9% オフ関連動画
多治見町西ヶ原遊廓
※1930年(昭和5年)発行の「全国遊郭案内」より
多治見町西ヶ原遊廓
多治見町西ヶ原遊廓は岐阜縣土岐郡多治見町西ヶ原に在って、中央線多治見驛へ下車すれば東へ約十丁の處である。乗合自動車の便があつて、西ケ原廓で下車すれば直ぐ眼の前に遊廓がある。
明治二十二年に岐阜縣令に因って、柴田利三郎氏が柴田家を開業したに始まつて、現在では娼樓十一軒、娼妓八十七人に殖えてる居る。此の元祖たる柴田家は現在でも営業を續けて居るが、相当の発展振りを示して居る。大體此の多治見町は大の陶業地なので、陶磁器界の盛衰が直ちに町の盛衰に影響を來し、町の盛衰が直ぐ樣遊廓に影響すると云ふ不離不即の深い関係に置かれた遊廓である。客筋は重に斯界の職人連である事を知るには、先づ次の遊興制度を見た方が手つ取り早いと思ふ。
店は寫眞制で、娼妓は總て居稼ぎ制で送り込み式では無い。時間制で廻しは一切取らない。其れも能率本位で、三十分が一仕切りと成って居り、此の一仕切りが金一圓二十錢也である。一時間が二圓二十錢に割引してある事等を見ても判る事だ。税は一圓に付き七錢宛徴収される事に成って居る。勿論一泊の制度もあるかも知れないが、ほんの一寸能率を上げるには割安で好都合ではあつても、一泊と成ると比較的割高に成ると思はねばならない。
妓樓は、新柴田、益田樓、清水樓、錦水樓、柴田家、和合樓、金花樓、思君樓、新柴家、大阪屋、福島、等である。
多治見町西ヶ原遊廓の地図
岐阜県多治見市広小路
多治見町西ヶ原遊廓関連ブログ
西ヶ原遊郭跡(岐阜県多治見市) – Nostalgic Landscape
西ヶ原遊郭跡に行ってきました①【岐阜県多治見市】
遊廓跡地を訪ねて 西ヶ原遊廓 in 2018
美濃焼生産地・多治見市広小路「西ヶ原遊郭」の痕跡を求めて
多治見めぐり(西ヶ原遊郭跡、たじみ広小路、銀座センター、多治見銀座商店街)
【多治見】西ヶ原遊郭とその周辺 その1
多治見(多治見遊廓跡地)西ヶ原治療院跡
多治見 / 西ヶ原遊郭
多治見市・広小路2丁目 西ヶ原遊郭跡
多治見町西ヶ原遊廓関連ツイート
多治見市の西ヶ原遊廓。興味があって少しづつ調べているが、とにかく資料が少ない。だから面白い。 pic.twitter.com/2st9ZlOUc6
— ことぶき (@kotobuki_76_nag) May 30, 2022
『多治見市史』によると、西ヶ原遊廓の設置を記念した石碑が西側入り口に建てられていたという。しかし後に撤去され、遊廓から遠く離れた某町5丁目の「庭石置場の片隅に放置されている…」とある。市史の記述を頼りに現地に行ってみたがそれらしい場所、石碑は見当たらなかった。 pic.twitter.com/Eim60Z2vnr
— ことぶき (@kotobuki_76_nag) May 30, 2022
●西ヶ原遊廓の入口:岐阜県女性史編集委員会編著
『岐阜県女性史 まん真ん中の女たち』(2000年10月) pic.twitter.com/969rLgU25K— 蛸々眼鏡 (@tacotacomegane) June 29, 2022
西ヶ原遊郭跡
岐阜県の遊廓といえば金津園ですが
多治見の西ヶ原遊廓は
それと双璧をなす賑わいだったとか pic.twitter.com/hPx8VUce9d— ぎゅす (@gustav0624) February 23, 2020
多治見の遊廓跡です。玉突という看板は大阪では見たことないですが以前大垣城の前の古いビルに玉突の看板あったので今のところ岐阜でしか見てないです。 #西ヶ原遊廓 pic.twitter.com/7kfb5l7nSH
— shoujidianhua (@shoujidianhua) September 16, 2020
岐阜県多治見市の西ヶ原遊郭跡。
近年までかつての建物がかなり残っていたが、老朽化などにより取り壊されて跡地は駐車場などになり、年々面影は薄れていっている。 pic.twitter.com/Sf9wkT5pKH— れいれい@BC三年生 (@5qwkqrwILfKftUM) November 30, 2021
ここらは西ヶ原遊郭跡らしい。
多治見温泉(1枚目右の建物)やら玉突末広やら、昔は結構な盛り場だったのだろうと思わせ建物がちらほら。 pic.twitter.com/lva1NIqYpU— forestbk (@forestbk_) June 13, 2018
西ヶ原遊郭跡地に来ました。
この看板が目当てです。 pic.twitter.com/l1OAXchHn3— WAGE UNITED(ウエッジUTD) (@bearschoice64) July 21, 2019
市街地から遠いといえば、多治見の第一次西ヶ原遊郭(明治22-24)もなかなかで、市街地から2キロほど丘陵を登っていかなければならなかった。案の定市街地の私娼に押されまくって、わずか3年で市街地そばに移転することになる。これが売防法まで続く第二次西ヶ原遊郭です。 pic.twitter.com/jCZXCHeBVN
— 春は馬車に乗って (@jounalduvoleur) June 27, 2021
『多治見市史』第6節、西ヶ原遊郭の項では昭和12年8月に「娼妓たちが弥生連国防婦人会を発足させ…」とある。しかし当時の新聞には「藝者ばかりの國婦會…」と。弥生連とは市内各所にあった(遊廓内にも一軒ある)藝妓置屋の組合の名称なので、この部分、娼妓と芸妓がごっちゃになってるようだ…🙄 pic.twitter.com/fnaz5U1rhD
— ことぶき (@kotobuki_76_nag) October 4, 2022
西ヶ原遊郭の跡 pic.twitter.com/lhBe5GZqxI
— へれな (@Helena_0010) November 16, 2020