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那覇渡地遊廓
※1930年(昭和5年)発行の「全国遊郭案内」より
記述なし
渡地村
那覇港に隣接した村。現在は那覇港の一部にあたる。屏風絵でも描かれているように、渡地村は通堂から橋でつながる小島であったが、明治以降埋め立てが進められ大正後期の地図では完全に埋め立てられていることがうかがえる。渡地村には17世紀後半から首里王府によって遊郭(遊女宿、傾城宿)が公的に置かれていた。屏風絵をみると陸地(通堂)から渡地村へは三条の橋が架かっていたようである。そのうちのひとつが遊郭へ向かうかを思案したため名付けられたという「思案橋」である。伊地知貞馨『沖縄志』付属の「那覇図」と照合するともっとも右側にある石橋が思案橋であったことが確認される。
「沖縄首里那覇港図屏風展」より
東町から渡地(ワタシジ)にかけられた橋。渡地遊郭への通り道にあったため思案橋と名づけられたという。
那覇市観光資源データベース
奈良文化財研究所
渡地村跡
臨港道路那覇1号線整備に伴う緊急発掘調査
18年2月~平成18年6月までに沖縄県教育委員会が実施した「渡地村跡」 の発掘調査
PDFより抜粋
渡地村跡は那覇市の通堂町に位置し、現在は近代以降の埋め立てにより西町と地続きになっていますが、近代以前は独立した小島で、北は唐船小堀を挟んで東村、南、東、西は那覇港に面し、島内の東端には硫黄城、中央に宮古蔵、西端には遊廓が存在していたことが知られています。
今回の発掘調査では、先述した遊郭に関係すると断定できる遺構は確認できませんでした。
那覇渡地遊廓の地図
沖縄県那覇市通堂町
※地図のマーカーの位置は、おそらくこの辺りと推測される位置に打っています。
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思案橋によって東町中国への進貢品である硫黄を貯蔵する硫黄城、宮古・ 八重山からの貢租を収納・管理する宮古蔵、公船の 製造・修繕や船材の格納出納をつかさどる船手蔵、 渡地遊郭などが置かれ、手前には琉球の公船や冠船
(冊封使の船)の修理を行う唐船小堀があった。思 https://t.co/1OOD336qmM— 山口節生 偽造証拠で産経死刑高裁長検事も (@Setsuoyamaguchi) April 26, 2022
@timgarer_amaka 辻や花盛り 渡地や渡てぃ 恋や仲島ぬ 浦ぬとまり (花の三島)
辻の遊郭は美しい遊女で花盛り、渡地遊郭はただ渡ってみるだけ、仲島遊郭の浦は恋のとまり(終着駅)だったそうだ。— usyume (@usyume) October 25, 2013
「父の愛」なんて言う花について聞いたら友人から、昔から男の花は三島(みしま)だと返事、「辻は花盛りわたんじや渡てぃ恋や仲島ぬ浦ぬとまり」(辻は遊女で花盛り渡地遊郭はただ渡り遊郭仲島は恋の終着駅そこで泊る。)那覇の「辻、渡地、仲島」は花の三島、昔の男達はそこで美しい花を摘んだとさ。
— usyume (@usyume) May 13, 2013