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串茶屋遊廓
※1930年(昭和5年)発行の「全国遊郭案内」より
※記述なし
串茶屋遊廓関連施設
石川県小松市串茶屋町甲30
串茶屋民俗資料館
串茶屋遊廓の地図
石川県小松市串茶屋町
串茶屋遊廓関連ブログ
小松市串茶屋遊郭を訪ねて
串茶屋遊女の墓
小松市『猫宮』を探しに行く
遊女を護る人々/取材記(2022/11/16)/石川県小松市串茶屋
串茶屋(串茶屋町の史蹟)三階の松
遊郭における廻しに関する一考察 その四
串茶屋遊廓関連ツイート
明治三十年頃に無くなった石川県小松の遊廓串茶屋、串茶屋民族資料館が記録と遺品の保全に努められていました。第一等のお茶屋駒屋の花魁玉舟の写真が飾られていました。地毛の髪型の画像は珍しいです。玉舟は花魁ながら胡弓、琴を演奏した事が伺えます。遊女で技芸に通じるのは本当大変でしょうね。 pic.twitter.com/4LYffHS3Cs
— 花街ぞめき、正脇良平 Ryohei Masawaki (@gionbubu) September 25, 2021
3年前まで残っていた
石川県小松市の串茶屋地区の遊廓 山屋 pic.twitter.com/VRPnv871ja— 呑み酒士 (@B4hkQBBrx7jRNxD) August 2, 2021
串茶屋民俗資料館は残念ながら休館中なのでガラス越しに覗くのみ。
串茶屋は北陸街道の茶屋街として発展し、万治三年に加賀藩から大聖寺藩に編入されたの後は遊廓がみとめられ、文化文政の頃は茶屋、旅籠、髪結、呉服屋などで賑わい、北陸街道一の歓楽街として繁栄したとか。 pic.twitter.com/CVzrBKoa4G— 山廃純米生原人 (@pazuzu2010) September 24, 2022
明治33年に300年の遊郭時代を終えた小松の串茶屋、明治40年頃の地図、山屋と中屋は無職、こまやが綿打、教員の家が多いですね。明治期早いころから街道沿いの遊郭は移転、もしくは廃止になりました。串茶屋民俗資料館にて。 pic.twitter.com/DuqkUVldh9
— 花街ぞめき、正脇良平 Ryohei Masawaki (@gionbubu) July 5, 2022
遊女の墓(小松市)
串茶屋は、加賀藩3代藩主・前田利常が小松に隠居城を築いて城下町が発展し、その結果、公認の遊郭ができたところである。他の遊郭のような一括の供養(いわゆる投げ込み寺の形態)ではなく、各遊女ごとに墓石が建てられ、その形状もまちまちである。 pic.twitter.com/XaC7a4ad1H— 「日本伝承大鑑」案内板 (@japanmystery) November 2, 2022
小松市にある串茶屋遊女の墓。こんな田舎に遊郭があったとか誰が想像出来るだろうか?楼閣の名前と遊女の源氏名が彫ってある。幾瀬川さんの墓は立派だから、人望が厚かったのだろうか?みんな20歳前後で亡くなっている。無念だったろうね。 pic.twitter.com/2Ciat0jZ5c
— 宇都宮マロニエ(不条理と戦うドンキホーテ) (@maroutsunomiya) November 24, 2020