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呉市吉浦遊廓

※1930年(昭和5年)発行の「全国遊郭案内」より
呉市吉浦遊廓
呉市吉浦遊廓は廣島縣市吉浦町字西新地に在つて、山陽吳線吉浦驛で下車すれば南へ約一丁の處である。市電及乗合自動車の便もあるが乘る程の事は無い。
吳市は軍港で鎮守府を置かれる迄は眇たる一小村であつたが、今では隆々として発展し、人口は正に二十萬に近着いて岡山市を越え、近い將來には廣島をも凌駕せんとする程の勢である。港の前面に横はつて居る江田島には海軍兵學校があり、江田島の西には能美島、嚴島、倉橋島大島等があつて、瀬戸内海勝地の一に數へられて居る。此の遊廓が許可地に成ったのは明治二十年十月八日で、現在貸座敷が拾参軒あつて娼妓は百十人居る。店は寫眞割で陰店は張つて無い。娼妓は全部居稼ぎ制で送り込みはやらない。遊興は通花制で廻しは取らない。費用は御定りが一泊、甲六圓、乙五圓五十錢、外に一時間遊びは二圓位で、何れも臺の物は別勘定である。娼妓は縣下の女が少なくて、九分通り迄は九州の女である。此處には特珠の風習があつて、第四月三日をば「お節句」と云つて、一家全部打揃って野や山に出懸け、飲めや歌へやの大散財を行ふ處である。
娼樓には新竹樓、都樓、大黑樓、支店、明日樓、吟松樓、東棲支店、金盛樓、第三明月樓、松本樓、明月樓、大米樓、金盛樓、松新樓等である。

吉浦遊廓の地図

広島県呉市吉浦新町



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