中村遊廓(名古屋市旭廓・名楽園)愛知県名古屋市中村区|全国遊廓赤線マップ 散策動画とブログデータベース #遊郭 #花街 #赤線 #昭和レトロ #遊里








旭廓から中村遊廓への移転と繁栄
中村への移転が決定すると、その移転地につき名古屋土地株式会社と旭廓土地株式会社との間に土地31620坪(104346平方メートル)の売買契約が締結、1920年(大正9年)3月から整地に着手、119700余円を投じてできあがった組合事務所(現在のピアゴ(旧ユニー)中村店付近)を中心として娼家群の新装が成り、開業したのは1923年(大正12年)4月1日であった。またこの日から「中村遊廓」または「中村旭廓」と称せられるようになった[1]。ただし当時の新聞記事によると、4月1日に一斉移転できたわけではなく、一部の業者は移転未了のままのスタートだった。新生中村遊廓は、日吉(ひよし)・寿町(ことぶき)・大門(おおもん)・羽衣(はごろも)・賑(にぎわい)の5つの町からなっていたため、五町街(ごちょうまち)[3]または五丁町(ごちょうまち)と呼ばれた。
ウィキペディア(Wikipedia)

中村遊廓(名古屋市旭廓)

※1930年(昭和5年)発行の「全国遊郭案内」より
名古屋市旭廓
名古屋市旭廓は愛知縣名古屋市西區大門町に在つて、東海道線名古屋驛で下車すれば西へ約二十丁の地點である。乗物は市電もあれば乗合自動車の便もあって、市電は片道四錢乗合は片道六錢である。
「尾張名古屋は城で持つ」と云ふ言葉を知らぬ人は恐らく無からう。共れ程城で有名な所である、家康の命に依つて加藤清正の築いた名城で、金の鯱と共に今だに光り輝いて居る。今此の城は師団の司令部に成つて居る。名古屋は築港と共に商工業が急激に発達して、東西兩京の中間に在るから、土地の人々は中京と呼んで居る向きもある。秀吉と滑正とを出した中村には清正公堂、豊國神社等がある。
大正十二年に舊遊廓から現在の遊廓へ移轉してからは、建築物も堂々たる大廈高樓と成り、一切の設備も完備して一大遊廓と成った。
現在貸座敷は百三十九軒あつて娼妓は千六百五十人居る愛知縣の女が最も多く、三重縣の女は此れに次ぐ。店は寫眞制で陰店は張つて無い。娼妓は居稼ぎ制で送り込みはやらない。遊興は総て時間制で廻しは絶対に取らない。費用は家によって異るが大體に於て一時間一圓二十錢、十二時以後翌朝六時迄は五六圓見當である。祝儀及臺の物は別だ。
妓樓は
賑町
青海樓 新常盤樓 常盤樓 金蛭子 新福本樓 金寶來樓 自由亭 福住樓 新星樓 新福樓 姬子樓 新桔梗樓 山月樓 綱山樓 新玉樓 松花樓 政中島樓 新扇樓 和風樓 新甲子樓 曙樓 大萬樓 末長壽樓 望海樓 富士波 松栄館 金水樓 東洋樓
羽衣町
新三朝 本家徳栄 杉浦樓 梅月樓 第一徳栄 栄本樓 大陽樓 本松島樓 第三武蔵 中村樓 新石樓 初夢樓 第二岡川 中島樓 富久波樓 眞盛樓 山八樓 幸星樓 長谷川樓 大清水樓 清長壽樓 三つ星樓 衣和合樓 繁長壽樓 大橋屋 千代田樓 開運福 開喜樓 若波樓 東樓 繁森樓 豊岡樓
大門町
兩國樓 紋長壽樓 第一栗本 瑶池樓 末廣樓 銀波樓 鈴本樓 久松樓 和合樓 七寶舎 第三栗本 桔梗屋 新金波樓 國森樓 子の日樓 高砂樓 福岡樓 福岡別館 牛若樓 森田樓 金波樓 第二栗本 大山田樓 楽長壽樓 米本樓 大吉樓 豊田樓 加茂川 第二福住樓 新吉古
壽町
河內樓 第二自由樓 第二千壽樓 望月樓 盛福樓 新稲本樓 福梅樓 盛長壽樓 新千壽樓 新山水樓 吉川樓 山海樓 神風樓 開進樓 大正樓 新曙樓 相生樓 玉川樓 清洲樓 美濃長樓 鶴廻家 大米樓 豊春樓 美濃卯 三ツ輪屋 本武蔵輪 恵美子樓 千壽樓
日吉町
泰平樓 枕勝樓 栄王樓 四季島樓 新井筒樓 新和合樓 壽樓 小川樓 久長樓 日吉樓 漣樓 松島樓 武蔵屋 橘樓 本家長壽樓 四海波樓 新長壽樓 福谷樓 石星樓 稲本樓 稲本別館

中村遊廓(名古屋市旭廓)の地図

愛知県名古屋市中村区



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