花川戸遊廓(山の目遊廓)岩手県一関市中央町|全国遊廓赤線マップ 散策動画とブログSNSデータベース #遊郭 #花街 #赤線 #昭和レトロ #大正ロマン



花川戸遊廓(山の目遊廓)

※1930年(昭和5年)発行の「全国遊郭案内」より
山の目遊廓
山の目遊廓は岩手縣西磐井郡山の目町にあつて汽車は東北線山の目駅へ下車する。
妓樓數三軒、娼妓は十三人位居て遊興は東京式廻し制度になつて居る。店は陰店を張っている。御定りは一圓五十銭、二圓三圓とあり、二圓三圓は御酒附で、一圓五十錢は茶菓、一泊も可能。重に同縣人多く割合に愛想が好いので評判だ。

花川戸遊廓(山の目遊廓)の地図

※地図のマーカーは「おそらくこの辺りだったろう」という推測です。



花川戸遊廓(山の目遊廓)関連情報

一関市市役所ホームページより引用
伝えたい、あの記憶
昭和22年のカスリン台風、同23年のアイオン台風により、一関地方は2年連続して大水害に見舞われ、多くの尊い命を失うなど未曾有の損害を被りました。
※抜粋
千田きや子さん(83)アイオン台風で流され、磐井橋付近で救出された。中央町。

助け出された瞬間に足元の木が流れていって
アイオン台風の時は、山目花川戸(現中央町)の信夫楼で子守りをしていました。秋葉家10人、親戚一人、姐さん4人とわたしが住んでいました。
水が1階のガラス戸を壊し座敷に入ってきて、2階に駆け上がりました。そのうち天井が落ち、電気が消えて真っ暗になり、わたしは下駄箱につかまり浮いていました。明かりをたよりに上がっていくと足に人の髪の毛が触り、その人を引き上げ一緒に逃げました。気がつくと水天宮の大木の下で、磐井橋に詰まっていた流木の上を歩いて山目側に渡りました。目の前の木々が橋の下に吸い込まれ、次は自分たちかと思っていると「誰かいないか」の声。助け出された瞬間、さっきまであった木が流されていったのでした。
秋葉家の人は全員亡くなり、姐さん一人、親戚とわたしだけが生き残りました。
あれから60年。今でも位牌と衣類をリュックに詰め、いつでも逃げられるようにと準備をしています。

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