旭町遊廓(宝来町遊廓)青森県青森市旭町|全国遊廓赤線マップ 散策動画とブログデータベース



塩町遊廓から柳原遊廓へ、そして旭町遊廓へ

1889年に現在の青柳に塩町遊郭(しおまちゆうかく)ができ、船員や町の若者の遊興で繁昌しましたが、大火により焼失。
その後、堤川の東側大坂町、現在の港町(みなとまち)に柳原遊郭(やなぎはらゆうかく)として移り、柳原は東北でも一、二といわれた大規模な遊郭と言われました。
当時としては珍しい木造三階建ての多くの妓楼(ぎろう)が並ぶ遊郭が多数並び、店先には、当時普及したてのガス灯が灯(とも)され、夜になればさらに華やかさを増し、堤川の反対側から見える電灯が灯るその賑(にぎ)わいはさながら不夜城ようなものだったと記録にあります。
女郎衆(じょろうしゅう)は総勢200名。
一・二等貸座敷は12~13軒。
三等貸座敷は30軒くらいもあり大変栄えていたそうです。
その柳原遊郭が明治43(1910)年の五月、大火になり焼け出され、新しく旭町が遊郭地として指定されました。
街グルメin青森
「風化させてはいけない記憶・青森の遊郭の話」より
https://www.facebook.com/macigourmet/posts/1544530255616520/

柳原遊廓の写真

青森県史デジタルアーカイブスより
明治期

旭町遊廓(宝来町遊廓)

※1930年(昭和5年)発行の「全国遊郭案内」より

青森市旭町遊廓
青森市旭町遊廓は青森縣青森市旭町に在って、東北線又は奥羽線青森驛で下車して南へ約十丁の個處に在る。
青森は本州最北の都會で開港場であり、北海道への聯絡船が出る。縣廳があり、兵營があり、善知鳥神社があり、金浦公園があり妙見堂がある。寛永以前には善知鳥と云ふ一魚村に過ぎなかつたが、藩主津軽信牧公が築港してからと云ふものは隆々として繁昌し、忽ちにして今日の大を成すに至つたものである。明治四十三年五月三日の青森大火に舊柳原遊廓も全滅したので、間も無く現在の地に移転して今日に至つたものである。目下貸座敷が二十一軒あつて娼妓は百四人居るが、何れも青森、秋田縣地方の女が多い。店は寫眞式と陰店式とを併用して居る。娼妓は全部居稼ぎ制である。客は廻し制で通し花は取らない。費用は六圓、五圓、四圓、三圓の四通りあって、何れも臺物が附いて居る。税は一割。本部屋は無い。青森の遊廓丈けでは、水中其他へは一切祝儀や心付けを與へる必要は無い。彼等は総て給料制度に成つて居るので、祝儀は絶対に受けない申合せをして居るのだ。貸座敷には、角海老、若松、開金、大金、大、政岡支店、富美代、金森、松明、第二松明、一六、喜樂、寶來、長谷川、青港、福太、政岡、水桝、第三一六、福島、松葉等がある。
里謡じょんから節「ハアー外ヶ濱なる青森港、北は松前樺太迄も、出船入船絶えまなく、ハアー海の青森繁華な青森、汽車は東北奥羽の出所、客の乗り降り東北一」藝妓の玉代は二時間一座敷二圓。

旭町遊廓(宝来町遊廓)の写真

青森県史デジタルアーカイブスより
明治末期

旭町遊廓(宝来町遊廓)の地図



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