大阪堀江遊廓 大阪府大阪市西区北堀江|全国遊廓赤線マップ 散策動画とブログSNSデータベース #遊郭 #花街 #赤線 #昭和レトロ #遊里



大阪堀江遊廓

※1930年(昭和5年)発行の「全国遊郭案内」より
大阪堀江遊廓
大阪堀江遊廓は大阪市西區北堀江に在つて、大阪驛から南へ約十五六丁湊町驛から約七丁、市電は「御池橋」で降りれば便利だ賃六錢。乘合自動車は十二錢。
元は船乘りを主なる客として居た遊廓で、娼妓が主だつたのであるが、漸次藝妓の爲め其の勢力を侵食され、今では其の地位を顛倒して、反對に藝妓が主で、娼妓はほんの申譯的に存在するに過ぎない有様に成った。
目下貸席が百五十五軒あつて、娼妓は四十三人居るが、大阪府の女が最も多い。藝妓は約八百名居る。店は五花街と同様何にも出て居ない。藝妓も娼妓も共に送り込み制であり、又仕切花制、通し花制である事も同様だ。費用も皆共通して居て最低が二圓八十錢(臺の物は別)である。大引け以後なら四五圓で泊れると云ふ事だ。此處でも一流の貸席は照會が必要である。二流以下ならふりの客でも結構。
附近には阿彌陀他、和光寺等があり、大黑粟おこしが名物だ。
貸座敷は、代表的揚屋、木谷、一力、藤島家、桝梅、松葉、藤田家、伏見屋、三益屋、八代等。

大阪堀江遊廓関連史

堀江六人斬り
ウィキペディア(Wikipedia)
堀江六人斬り事件(ほりえろくにんぎりじけん)は、1905年(明治38年)6月21日未明、大阪堀江遊郭の貸座敷「山梅楼」(やまうめろう)の当主・中川萬次郎が、内縁の妻(山梅楼女将)の親族ら6人を刀剣で斬り付け、5人が死亡した事件である。
両腕を切断されながら生き残った芸妓・津満吉(=妻吉)は、その後結婚、出産、離婚を経て高野山で出家得度し、名を大石順教と改め、半生を障害者の福祉に捧げた。

大坂の史跡を訪ねてVol.8 – 堀江遊郭跡

大阪堀江遊廓の地図

大阪府大阪市西区北堀江



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